2009年 04月 10日
AUTOBIANCHI A112 ABARTH
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以前に乗っていた、AUTOBIANCHI A112 ABARTHの事を書こうと、昔撮った写真を探してみると・・・無い。どこかにしまい込んで分からなくなったという話を、たまたま実家に帰った時に母に話したら、「私も撮ったものがあるわよ」と。廃車する当日に、リボンまで付けて写真を撮っていてくれました。 あんなに「うるさい!」と言い続けて来た母にも、ここまで思われてしまう、AUTOBIANCHI A112 ABARTH のお話し。

子供の頃は、電車派と車派にわかれるとよく言われますが、私は車派。時は、スーパーカーブームの真っただ中。環八沿いのディーラーにスーパーカーを見たいと親にねだり、よく連れて行ってもらっていました。 今考えると、買いもしない高級車のディーラーを除き込むのは、親にしてみれば、かなり恥ずかしかったのではないかと思います。 当時好きだったのは、やっぱりカウンタック、そしてWRCで活躍していたランチアストラトス。
そんな子供時代も過ぎ、車でよく通る16号線沿いにJAXが出来、そこで初めて、AUTOBIANCHI (当時は名前を知りませんでした)と出会いました。80年代の話。 目と目で通じ合う感じです。 一目惚れでした。 そしてJAXが無くなり・・・、AUTOBIANCHIの事は自然と忘れてしまっていました。
社会人になったら絶対に車を持つと決めていて、本当は、ランチアデルタがほしかったのですが、買えるわけがないのは最初からわかっているので、さて何にするかと、カーセンサーをぱらぱらと。すると何かと目が合う・・・。これは、ひょっとすると、あの車、AUTOBIANCHI! 。 その時に名前を始めて知りました。 グレードもジュニア、エリート、アバルトの3タイプがあることがわかり、5速の方がいいかなという思いもあり、アバルトについて少し調べてみると、カルロ・アバルトというチューニングの神様が起こしたアバルトが手がけた車には、サソリの紋章と、アバルトの名が刻まれていると。なんだかワクワクしてもう少し調べてみると、レーシングマシーン以外にも市販車のチューニングもしていて、あのチンクエチェントも手がけている事がわかりました。 アウトビアンキやチンクエチェントのような車に、その可愛さから想像できないような性能を与えてしまうという遊び心が気に入り、アバルトの置いてあるチェッカーモータースへ。 太めのタイヤを付けているものが多い中、純正の細いタイヤを付けているものを見つけ、いじられていないアバルトの方がアバルトらしいと思い試乗をすることに。 オイルとガソリンの匂い。初めての左ハンドル、パワステ無し、ブレーキもすごく重い。 チョークを引いてエンジンをかける。素敵なエンジン音。 いよいよ路上へ。 車が行こう!行こう!とせがんでくる感じ、ロデオというか、普通の道が峠のように楽しい。 すぐに購入することに。
購入したのは、84年式で、エアコン無し、ラジオ付き。
購入してからどこへ行くにも一緒!というわけにはイタリア車なのでいきません。機嫌が悪い時はお留守番をしていてもらうことも。 また、運転中も急にへそを曲げて、動かなくなったり。 なので、広い通りも歩道側を走る事が習慣となり。千葉の現場に行っているときには、帰り道のレインボーブリッジの渋滞にはまり、オーバーヒートで、首都高速の退避場所で休憩、ヒューズ交換することもいつものことように。 大雨の次の日には、床に水が溜まっていたり。 それでも、無謀にもスキーに行ったりしていました。
いろいろ問題を抱えながらも、ずっと乗っていられたのは、その問題の全てを帳消しにしてくれる、運転をしている時の楽しさがあったからだと思います。
このアウトビアンキとは、1993年から2003年までの10年間の付き合いでした。
また乗ってみたい車です。

子供の頃は、電車派と車派にわかれるとよく言われますが、私は車派。時は、スーパーカーブームの真っただ中。環八沿いのディーラーにスーパーカーを見たいと親にねだり、よく連れて行ってもらっていました。 今考えると、買いもしない高級車のディーラーを除き込むのは、親にしてみれば、かなり恥ずかしかったのではないかと思います。 当時好きだったのは、やっぱりカウンタック、そしてWRCで活躍していたランチアストラトス。
そんな子供時代も過ぎ、車でよく通る16号線沿いにJAXが出来、そこで初めて、AUTOBIANCHI (当時は名前を知りませんでした)と出会いました。80年代の話。 目と目で通じ合う感じです。 一目惚れでした。 そしてJAXが無くなり・・・、AUTOBIANCHIの事は自然と忘れてしまっていました。
社会人になったら絶対に車を持つと決めていて、本当は、ランチアデルタがほしかったのですが、買えるわけがないのは最初からわかっているので、さて何にするかと、カーセンサーをぱらぱらと。すると何かと目が合う・・・。これは、ひょっとすると、あの車、AUTOBIANCHI! 。 その時に名前を始めて知りました。 グレードもジュニア、エリート、アバルトの3タイプがあることがわかり、5速の方がいいかなという思いもあり、アバルトについて少し調べてみると、カルロ・アバルトというチューニングの神様が起こしたアバルトが手がけた車には、サソリの紋章と、アバルトの名が刻まれていると。なんだかワクワクしてもう少し調べてみると、レーシングマシーン以外にも市販車のチューニングもしていて、あのチンクエチェントも手がけている事がわかりました。 アウトビアンキやチンクエチェントのような車に、その可愛さから想像できないような性能を与えてしまうという遊び心が気に入り、アバルトの置いてあるチェッカーモータースへ。 太めのタイヤを付けているものが多い中、純正の細いタイヤを付けているものを見つけ、いじられていないアバルトの方がアバルトらしいと思い試乗をすることに。 オイルとガソリンの匂い。初めての左ハンドル、パワステ無し、ブレーキもすごく重い。 チョークを引いてエンジンをかける。素敵なエンジン音。 いよいよ路上へ。 車が行こう!行こう!とせがんでくる感じ、ロデオというか、普通の道が峠のように楽しい。 すぐに購入することに。
購入したのは、84年式で、エアコン無し、ラジオ付き。
購入してからどこへ行くにも一緒!というわけにはイタリア車なのでいきません。機嫌が悪い時はお留守番をしていてもらうことも。 また、運転中も急にへそを曲げて、動かなくなったり。 なので、広い通りも歩道側を走る事が習慣となり。千葉の現場に行っているときには、帰り道のレインボーブリッジの渋滞にはまり、オーバーヒートで、首都高速の退避場所で休憩、ヒューズ交換することもいつものことように。 大雨の次の日には、床に水が溜まっていたり。 それでも、無謀にもスキーに行ったりしていました。
いろいろ問題を抱えながらも、ずっと乗っていられたのは、その問題の全てを帳消しにしてくれる、運転をしている時の楽しさがあったからだと思います。
このアウトビアンキとは、1993年から2003年までの10年間の付き合いでした。
また乗ってみたい車です。
by suzuki-ar
| 2009-04-10 23:03
| その他
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