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鈴木啓太建築設計事務所
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2009年 04月 07日
今更と言われそうですが、3月22日に武相荘に行ってきました。
![]() NHKのドラマが放送された事もあり、観光バスが乗り付けるなど、それなりの人出でした。 白州次郎氏については、「上杉謙信⇒上杉鷹山⇒北条早雲⇒孟子⇒孔子「論語」まで 」に書いたとおり、知っておくように忠告を受けていたのですが、怠慢な事に、つい最近まで知らずじまい。宇和島のパールデザインコンテストで宇和島に行った時に、偶然つけたTVで白州次郎氏のドラマをやっていて、「しまった!」と。うちは、小さい娘がいるので、9時以降は基本的にTVを見ないので、宇和島に行っていなかったら知らないままだったと思います。不思議なめぐりあわせです。あわてて、いろいろと本を買って読むことに。 ドラマの参考となっている、北康利氏の「占領を背負った男」、白州次郎氏の「プリンシプルのない日本」、牧山桂子女史の「次郎と正子」を読んでみました。 持つ者と持たざる者の格差があった当時にあって、白州家を取り巻く人達の、すさまじいまでの「持つ者」ぶりが描かれています。 政治もこれらの「持つ者」の中で執り行われ、そんな中で戦争が起きてしまいます。 「持つ者」の側であった白洲氏は、その責任を感じ、戦後の復興に全力を傾けたのではないかと思います。 為政者は国民のために働きなさいと。 「政治家が悪いから世の中が悪い」と言っていると、白洲氏に、「選んだのはあなた方ですよ」と叱られてしまいますね。衆議院選挙はもうすぐです。 読み終わってからだいぶ時間が経ち、気になる事が。 北康利氏の「占領を背負った男」が発行されたのが、2005年8月。 自民党「憲法改正草案大綱(たたき台)」 2004年11月17日 “自衛隊に使い勝手のいい(=楽に軍事行動を起こせる)「改憲」案だ”との批判を受けて撤回される。 自民党が立党50年を機に第一次素案を発表。2005年 自民党が小泉内閣で圧勝し、憲法改正についての議論が多く行われ始め、そんな時に発行された、「占領を背負った男」・・・。 自民党の新憲法草案は、Wikipediaの憲法改正論議から見に行けます。自民党のHPからは見付けにくいです。
2009年 04月 03日
加地伸行氏の「論語」を読んでみました。
なぜかというお話から。 ずいぶん前になりますが、お施主様から、白州次郎を知っていますか?と、知りませんと答えると。知った方が良いと。また、その席に奥様も同席されていて、上杉謙信は侵略をしなかったという話も出て、その時は、戦国時代に侵略をしなかった人がいるのかと、そうであればすごいことだなという事の方が頭の中を占めてしまい。上杉謙信の事を調べてみようと思いました。後に白州次郎氏に大いにはまってしまうのですが・・・。 上杉謙信は、川中島の戦いで、かの武田信玄と互角に渡り合った人ということくらいしか知らなかったので、武神ぶりが良く描かれているという、志木沢郁氏の「上杉謙信」を読んでみることに。評判のとおりの本で、最近話題の三国志にも出てくる兵法に精通した武神ぶりが良く描かれています。本の中で、謙信は、原理原則に重きを置いて規律に厳しく、当時の足利の社会のしくみを守り通すことが世の中のためになると信じ、関東管領職の職務をまっとうする大義のために、戦をしていたように描かれています。エルサレムはだれのもの?と同じように、侵略であるかどうかは、考え方によっていろいろだとも思いました。 ここで気になる人物が、謙信と互角に渡り合う、武田信玄と北条氏康なのですが、 私が好きな言葉の 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり 「上杉 鷹山」 の上杉 鷹山がずっと気になっていたので、上杉続きで竜門冬二氏の「上杉 鷹山」を読んでみることに。 「10歳で日向高鍋藩(九州)から上杉重定の養子となり、17歳で藩主となる。名前は、上杉 治憲。」とある。上杉の流れをくむ人ではないのかと思いつつ、読み進めると、いくつも心打たれる場面が描かれていて、思わず泣きそうに・・・。(少し、ビジネス本的な記載があって気になりますが。) 上杉景勝が関ヶ原の戦いで石田三成に味方したため、徳川から米沢三十万石(元々は会津120万石)に減封されて、景勝の意地もあり藩士は一人も減らさないという方針と、かつての120万石の威厳を損なわないような振る舞いによって、藩の財政は火の車に・・・。そこで現れるのが治憲。財政再建を見事に成し遂げるまでの苦難が描かれています。 本の中で、上杉 治憲が「私が藩主として適当でないと裁けるのは、米沢藩の領民だけである」と 納税者こそが国の王様だという考えをこの時代に公言する大名はまだいない。と 竜門冬二氏の「上杉 鷹山」は、実は、父から借りました。その時に、司馬遼太郎氏の「箱根の坂」も一緒に読むと良いと言われ、続けて読むことに。 「箱根の坂」は、伊勢新九郎、後の北条早雲(後北条の祖である人。)が主人公のお話。重税で人々を苦しませている足利の政治に疑問を持ち、そのしくみと戦い、人々が安心して暮らせる国づくりをする過程が描かれています。謙信と互角に渡り合った北条氏康は、早雲の孫になります。北条からすると、謙信は古い仕来りを守る人で、世のためにならないということで、戦わざるをえなかったのだと思います。世界中で起きている紛争もお互いが正しいという主張がぶつかり合って起こってしまうのですが、話し合いでなんとかならないものかと、ニュースを見るたびに思います。世界平和が一番です。 「箱根の坂」の中で、伊勢新九郎、足利義視(義政の弟)が孟子について語り合う場面があります。 「殷の悪しき紂王は、周の武王によって討伐された。不徳の紂王から民意は離れた。民意すなわち天命である。天命から見放された紂は、王ではなく、ただの匹夫にすぎない。周の武王は紂王を討ったのでなく匹夫を討ったのである。」また孟子は、「人民が最も重い、そのつぎは、国家、君主が最も軽い」と この思想は、先の上杉 鷹山の考え方と同じです。 上杉 鷹山の師は細井 平洲という儒学者。ここで孟子の思想が伝えられたのではないかと思います。 「内村鑑三は、代表的日本人の一人として上杉鷹山を取り上げるとともに、その師、細井平洲を当代最大の学者と紹介しています。」(東海市役所のHPから引用) 上杉 鷹山に話を戻しますと、かのジョンFケネディーが、「上杉 鷹山は最も尊敬する日本人」と答えたことで、今の世で再び有名になった人のようです。 鷹山は次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した3条からなる藩主としての心得を残しています。 伝国の辞 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 これは、国会にも張っておいてはいかがかなと。 竜門冬二氏の「上杉 鷹山」のあとがきに 「先日、米沢市役所に行ったら、鷹山の伝国の辞を職員に配っていた。」と書いてある、米沢市の職員の方々は、さぞ志高く職務を全うされているのではないかと思います。 これら偉人達に影響を与えたものは何かというと、「孟子」なのではないかと。 そしてまた、「孟子」に影響を与えたのは誰かと。 では、源を読んでしまえばいいのでは?ということで、 孟子⇒子思⇒曾参⇒孔子 ということで、 「論語」を読んでみようと思った次第です。 (やっとたどりつきました) 子供の頃は、昆虫採集やザリガニ取りに魚釣り、基地づくりに探検と、まったく勉強をしなかったこともあり、難しい文章は絶対にだめどろうと思い、探し当てたのが、加地伸行氏の「論語」。中学生向けと書いてあるのに惹かれました。すごく丁寧で、やさしい語り口の文章で、なんとなくではありますが、読むことができました。書いてある事はわかるのですが、深く理解するのは、何度も読まないとだめだろうなと思います。世の中学生は賢いのだなと感心。 加地伸行氏の「論語」の中で 子曰く、之を道(導)くに政を以てし、之を斉うるに形を以てすれば、民 免れて恥なし。 之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且格(正)し。 老先生の教え。 行政の法制のみに依ったり、治安の刑罰のみを用いたりするのでは、民はその法制や刑罰にひっかかりさえしなければ何をしても大丈夫だとして、そのように振る舞ってなんの恥じるところもない。[しかしその逆に]行政を道徳に基づき、治安に世の規範を第一とすれば、心から不全を恥じて正しくなる。 ここで、ふと、自分の仕事について考える。 姉歯の構造偽装事件に始まる建築基準法の改正と関係法令の制定が、10月に本格施行される「住宅瑕疵担保履行法」で一段落。後は。四号特例の廃止?を残すのみ。(なんで残っているのか不思議ですが) 孔先生に言わせると、「何をやっているのかい」と笑われてしまうのではないかと思います。 構造偽装事件のような事が、二度と起きないように願うばかりです。 「住宅瑕疵担保履行法」は、簡単に説明しますと、新築の住宅で、主要構造部と防水の瑕疵について10年間きちんと保障ができるように、建設業者や販売業者に供託か保険加入を強制的にさせる法律です。倒産したからどうにもなりませんでは、あまりにひどかったので、それを解消するためにできました。なので、建設業者や販売業者が倒産しても保障が受けられます。ここでの注意は、対象が主要構造部と防水の瑕疵だけであることです。上限金額も普通は2000万で、保険金額を上げることで、上限金額も上げられますが、対象となるのは、くどういようですが、主要構造部と防水の瑕疵だけです。カッコワルイとかもダメです。(笑) また、この保険の加入は、建設業者や販売業者が行いますが、彼らも商売ですので、売値にこの費用をのせるしかありません。なので、結局は、消費者である皆様が払う事になるのではと。 この法律は、われわれ設計者は蚊帳の外。でも、保険にきちんと加入できるように建物を設計するのは、我々設計者。これからは、お役所と保険会社に足しげく通う事になります。何はともあれ、信用を失ってしまった私達建築士は、これまで以上に良いものをつくって行くしか信用を回復することができません。後は実行するのみです。 この法律の本格施行は10月に引き渡されるものからです。保険の制度は出来ているので、その前でも加入することができます。心配な方(そういう建物が存在しないことを願いますが)は、建設業者や販売業者に相談されてはいかがでしょうか? 話がずいぶん脱線してしまいましたが、この仕事をしているといろいろな人に出会います。また、建築はすぐには出来ないので、お付き合いもそれなりに長く深くなります。 畑違いの事でも何でも知りたがる私の質問にも面倒がらずにいろいろとお教え頂くことも多く、大変感謝しております。 こういう機会に恵まれた、楽しい仕事を生業に出来ている事を幸せに思います。 < 前のページ次のページ >
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